2026年現在、大相撲の歴史において異彩を放った外国出身力士の足跡は、今なお多くのファンや関係者の記憶に深く刻まれています。その筆頭格として語り継がれているのが、エストニア出身初のエースとして角界を席巻した元大関・把瑠都凱斗(かイド・ホーヴェルソン)です。圧倒的な巨体と驚異的なパワーを武器に土俵で大暴れし、幕内最高優勝を成し遂げた伝説の力士は、土俵を去った後も政治家、実業家、格闘家など多方面で唯一無二のキャリアを築き上げています。本記事では、把瑠都凱斗の波乱万丈な経緯や相撲界での輝かしい軌跡、そして知られざる素顔と現在の歩みを多角的に紐解いていきます。
エストニアでの少年時代と日本への扉を開いた運命の出会い

把瑠都凱斗の本名はカイド・ホーヴェルソンであり、1984年11月5日にエストニアで生まれました。スウェーデン系エストニア人の血を引く少年が日本の大相撲と出会ったのは、12歳の小学6年生の時でした。当時、相撲の国際的な普及を図る国際相撲連盟の理事夫妻がエストニアのラクヴェレを訪れ、相撲の指導を行いました。多くの子供たちが初体験の相撲に戸惑いを見せる中、ホーヴェルソン少年だけは目を輝かせて熱心に相撲を取っていたといいます。のちに把瑠都自身もこの日を振り返り、「何で裸になるんだろうと思ったけど、力と力の勝負が本当に楽しかった。今思えば、これも運命でしょう」と懐古しています。
この出会いをきっかけに、自宅から車で10分ほどの場所にある相撲道場「SAKURA」に通い詰めて稽古を重ね、アマチュア相撲界で基礎を築いていきました。彼にとって前述の理事夫妻は、のちに「日本の両親」と慕うほど大きな存在となりました。大相撲への入門も、この夫妻や国際相撲連盟の会長らの献身的な尽力があって初めて実現したものです。ヨーロッパのアマチュア相撲界の名士であるヴォルフガング・ツックシュベルトの影響も決して皆無ではなく、周囲の支えを受けながら、日本の伝統文化である大相撲の扉を叩くことになったのです。
三保ヶ関部屋から尾上部屋へ、そして大関昇進までの軌跡
日本に渡ったホーヴェルソンは、伝統ある三保ヶ関部屋に入門しました。当時の三保ヶ関親方(元・増位山)によって授けられた四股名が「把瑠都 凱斗」です。「把瑠都」の由来は、母国エストニアが面するバルト海から取られ、「凱斗」は本名のカイドの響きに、日本で素晴らしいものをつかみ母国に凱旋してほしいという深い願いが込められています。その後、部屋の移籍を経て尾上部屋に所属を変え、持ち前の恵まれた体格と優れた運動神経を活かして番付を駆け上がっていきました。
右四つからの力強い寄り、豪快な投げや吊りを武器に、把瑠都は瞬く間に角界のトップ戦線へと躍り出ました。外国出身力士特有の苦労や言語の壁を乗り越えながらも、持ち前の明るいキャラクターで周囲に愛され、確実に実力を証明していきました。そして最高位となる東大関にまで昇進を果たし、綱獲りに挑戦するなど、大相撲の歴史にその名を刻む大エースとしての地位を確固たるものにしました。
| 時期・項目 | 主な実績・詳細 | 備考・背景 |
|---|---|---|
| 入門・四股名 | 三保ヶ関部屋に入門、のちに尾上部屋へ移籍 | 四股名の由来は母国のバルト海と「凱旋」の願い |
| 最高位 | 東大関 | 史上初のエストニア出身力士として最高峰に肉薄 |
| 得意技 | 右四つ、寄り、投げ、吊り | 圧倒的な巨体とパワーを活かしたダイナミックな相撲 |
| 幕内最高優勝 | 2012年1月場所(14勝1敗) | 初日から好調を維持し、13日目に優勝を決定 |
2012年1月場所の初優勝と感動の優勝インタビュー
把瑠都の相撲人生において最大のハイライトの一つが、2012年1月場所での幕内最高優勝です。初日から圧倒的な相撲内容で連勝街道を突き進み、13日目の時点で白鵬が琴欧洲に敗れたことにより、悲願の初優勝が決定しました。14日目も白星を重ね、千秋楽には全勝をかけて再び白鵬と対戦しました。惜しくも敗れて全勝優勝は逃したものの、14勝1敗という素晴らしい成績で初場所を締めくくりました。
優勝インタビューの場では、来日していた母親と現在の妻であるエレナ夫人の喜ぶ姿を目にし、人目も憚らずに男泣きしました。「お母さんが生まれていなかったら、私はここにはいない。産んでくれてありがとう」と、胸に秘めていた深い感謝の言葉を公の場で告げた姿は、多くのファンの胸を打ちました。この年の活躍により、一時は綱獲りへの期待も最高潮に達しましたが、相撲人生の常である度重なる故障などが徐々に身体を蝕むことになっていきました。
怪我との戦いから現役引退、そして家族の存在
輝かしい栄冠を掴み取った一方で、把瑠都の身体には長年の激しい稽古によるダメージが蓄積していました。故障の影響は隠しきれず、2012年11月場所限りで大関から陥落。その後も番付を下げながら土俵に立ち続けましたが、怪我の功罪もあり、2013年9月場所を前に十両の地位で惜しまれつつ現役引退を表明しました。突如訪れた引退劇においても、私生活では変わらぬ絆がありました。
私生活では、2009年2月にロシア出身で2歳年上の女性(現在のエレナ夫人)と結婚しています。エレナ夫人は、初めて会ったときから把瑠都の巨体に臆することなく接し、のちの引退という大きな転換期においても決して動じることのない強い芯を持った人物として雑誌などで紹介されました。公私にわたるパートナーの支えがあったからこそ、力士としての過酷な時代を駆け抜け、その後の新たな人生への挑戦が可能となったのです。
引退後の多様な歩み:政治家、実業家、タレントとしての現在
土俵を降りた後の把瑠都凱斗は、格闘家としてのリングに上がって新たな闘志を見せたほか、実業家やタレントとしても幅広く活動を展開しました。日本テレビ系のバラエティ番組『ネプ大リーグ』の「衝撃!!超人キッズ」コーナーなどに出演し、力士を目指す子供たちを指導したり、土俵の円から出たら負けになるハンディ相撲の相手を務めたりするなど、ユーモアと優しさに満ちた人柄でテレビ画面を賑わせました。
さらに活動の舞台は日本国内にとどまらず、母国エストニアへと戻り、政治家としての道を歩み始めました。エストニア中央党に所属し、国会議員として国の政策や社会発展に貢献するなど、アスリートの枠を超えたスケールの大きなキャリアを築いています。スポーツ外交や日本とエストニアの架け橋としても重要な役割を果たしており、実業家としての顔も持ち合わせながら、多方面でリーダーシップを発揮し続けています。
【把瑠都凱斗】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:把瑠都の出身国や本名は?
A1:エストニア出身で、本名はカイド・ホーヴェルソン(Kaido Höövelson)です。スウェーデン系エストニア人の血を引いています。
Q2:相撲界での最高位や主な実績は何ですか?
A2:最高位は東大関です。史上初のエストニア出身力士として活躍し、2012年1月場所で14勝1敗の好成績を収め、幕内最高優勝を達成しました。
Q3:引退した時期とその理由は?
A3:2012年11月場所で大関から陥落し、その後番付を下げた末、故障などが響いて2013年9月場所の前に十両の地位で現役を引退しました。
Q4:現在の活動拠点はどこで、何をしていますか?
A4:現在は母国エストニアを中心に活動しており、エストニア中央党に所属する政治家(国会議員)として、また実業家やタレントなど幅広い分野で活躍しています。
把瑠都凱斗が残した大相撲での足跡は、単なる勝ち星や昇進の歴史にとどまりません。12歳の時に出会った相撲に心を奪われ、遠く離れた日本へと渡り、数々の困難を乗り越えて大関という頂点まで駆け上がったストーリーは、多くの人々に勇気を与えました。初優勝で見せた母への感謝の涙や、家族の揺るぎない支え、そして引退後に政治家や実業家として第二の人生を力強く切り開く姿勢は、彼の人間的な魅力そのものを物語っています。2026年現在も世界を舞台にマルチな才能を発揮し続ける把瑠都凱斗の歩みは、国境やジャンルを超えた挑戦の尊さを私たちに教えています。