大関から度重なる怪我や病気により序二段まで陥落しながらも、そこから奇跡的なはい上がりを見せ、第73代横綱へと昇進した照ノ富士春雄。平成から令和にかけての大相撲史において、最もドラマチックなキャリアを歩んだ力士の一人です。2025年1月場所を最後に現役を引退し、同年6月からは年寄・伊勢ヶ濱を襲名。土俵を去った現在も、その圧倒的な存在感と相撲道に対する揺るぎない姿勢は多くのファンや関係者から称賛を集めています。
本記事では、大関からの序二段陥落という絶望的な状況から横綱にまで上り詰めた「奇跡の復活劇」の真相をはじめ、現役時代の輝かしい生涯成績、2026年1月に行われた感動の引退相撲、そして親方として新たな道を歩み始めた現在の活動に至るまで、信頼性の高い事実とデータを基に詳しく解説します。
大関から序二段陥落、そして第73代横綱へ:奇跡の復活劇の軌跡

照ノ富士の相撲人生を語る上で絶対に外せないのが、どん底からの復活劇です。モンゴル国ウランバートル市出身の彼は、圧倒的な体格と強靭な相撲センスを武器に番付を駆け上がり、大関へと昇進しました。しかし、両膝の深刻な怪我や内臓疾患などの病気が重なり、勝利から遠ざかる日々が続きます。治療や手術を繰り返す中で長期休場を余儀なくされ、番付はみるみるうちに下降。ついには関取の座を失い、幕下、そして三段目、最終的には序二段(序二段陥落)まで番付を下げてしまいました。
通常の力士であれば、度重なる大けがと過酷なリハビリの連続、そして番付の急降下に心折れて引退を選ぶところです。しかし、本人の「もう一度土俵で相撲を取りたい」という執念と、周囲の支えが彼を突き動かしました。序二段からの再出発は決して平坦ではなく、痛む膝を抱えながら泥臭く白星を積み重ね、驚異的な精神力で幕内へと返り咲きます。さらに大関へと復帰を果たし、ついには第73代横綱にまで昇進。大関から序二段へ落ちた力士が横綱にまで登り詰めた例は、大相撲の長い歴史の中でも前例のない史上初の快挙であり、スポーツ史に残る伝説的な復活劇となりました。
横綱・照ノ富士の歩みと主要データ年表
ここまでの圧倒的な実績とキャリアの転換点を、客観的なファクトとともに整理します。
| 時期・年号 | 主な出来事・ステータス | 備考・実績 |
|---|---|---|
| 1991年11月 | モンゴル国ウランバートル市にて誕生 | 本名は杉野森正山(ガントルガ・ガンエルデネ) |
| 2015年夏場所 | 大関昇進 | 新入幕から短期間でのスピード出世を果たす |
| 2017年〜2018年 | 怪我と病気による度重なる休場 | 両膝の故障や糖尿病などの影響で番付が急降下 |
| 2018年〜2019年 | 序二段陥落からの過酷なリハビリと再起 | 「相撲人生を2回楽しんだ」と後に振り返る原点の時期 |
| 2021年9月場所 | 第73代横綱昇進 | 日本国籍を取得後、横綱へ昇進。復活劇を達成 |
| 2025年1月場所 | 現役引退を表明 | 度重なる怪我との闘いの末、惜しまれながら土俵を去る |
| 2025年6月〜 | 年寄・伊勢ヶ濱を襲名 | 指導者としての第一歩を踏み出す |
| 2026年1月 | 両国国技館にて引退相撲を開催 | 横綱土俵入りや大勢の関係者による断髪式を実施 |
生涯成績と数々の栄冠:横綱として刻んだ足跡
数々の絶望を乗り越えた照ノ富士は、横綱昇進後もその実力を遺憾なく発揮しました。怪我を抱えながらも土俵に上がり続けたその姿は、横綱としての強い責任感の表れでした。昭和以降15例目となる3場所以上連続全休からの復帰場所となった大会では、中日勝ち越しを経て圧倒的な強さを示し、千秋楽を待たずに優勝を決めるなど、土俵の求心力として君臨し続けました。
関係者や横綱審議委員会からも、その圧倒的な相撲センスと「敢闘精神」「責任感」は高く評価されていました。本人は周囲の支えや子供の誕生などを励みにしながらも、何かに依存するのではなく「自分自身の内なる強い意志」を原動力として土俵に向き合っていたと語っています。その揺るぎないプロフェッショナルな姿勢は、多くの後進の力士たちに大きな影響を与えました。
2026年1月、両国国技館での引退相撲と新たな門出
現役生活にピリオドを打った照ノ富士は、2026年1月31日に両国国技館で盛大な引退相撲を行いました。最後の横綱土俵入りでは、長男とともに土俵に上がり、露払いに大の里、太刀持ちに豊昇龍という現役横綱を従える非常に豪華で格式高い顔ぶれが実現しました。この光景は、彼がこれまでの相撲界で築き上げてきた人望と実績の大きさを物語るものでした。
続く断髪式では、元3代若乃花の花田虎上氏や白鵬翔氏をはじめ、約330人もの関係者がはさみを入れ、最後の止め鋏は入門時の師匠である宮城野親方が入れました。長年支えてくれたファンや関係者に見守られながらの大銀杏との別れは、多くの人々の記憶に残る感動的なものとなりました。
年寄・伊勢ヶ濱としての現在地:「自分を曲げない力士」の育成へ
引退後は2025年6月から年寄・伊勢ヶ濱として、日本相撲協会のなかで後進の指導にあたっています。自身が怪我と病気、そして序二段からの地獄のようなはい上がりを経験しているからこそ、力士が直面する肉体的・精神的な苦難を誰よりも深く理解できる指導者です。
今後の抱負について問われた際には、「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい。その力士は必ず強くなる」と力強く語っています。小手先の技術論にとどまらず、相撲道に対する厳格な姿勢や精神力を次世代に継承していくその眼差しは、すでに一人の親方として確固たる信頼を集めています。
【照ノ富士】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:照ノ富士が序二段まで陥落した原因は何ですか?
A1:両膝の深刻な変形性関節症やケガ、さらには内臓疾患などの病気が重なり、長期間にわたる休場を余儀なくされたことが原因です。一時は関取の座を失い、幕下、三段目、そして序二段まで番付が下降しました。
Q2:大関から序二段に落ちてから横綱になったのは史上初ですか?
A2:はい。大関から怪我や病気で番付を大きく下げて序二段まで陥落した後に、再び大関へ復帰し、さらに横綱へと昇進を果たした力士は大相撲の歴史上、照ノ富士が初めてであり、まさに奇跡の復活劇として語り継がれています。
Q3:引退後の現在の活動は何をされていますか?
A3:2025年6月からは年寄・伊勢ヶ濱を襲名し、相撲協会の親方として後進の育成に尽力しています。「自分に嘘をつかない力士を育てる」という信念のもと、自身の経験を活かした指導を行っています。
大関からの序二段陥落、そして第73代横綱への昇進という、誰も成し遂げたことのない険しい道を駆け抜けた照ノ富士春雄。その相撲人生は、諦めない心と強靭な精神力がどれほどの奇跡を起こせるのかを私たちに示してくれました。
2026年現在は年寄・伊勢ヶ濱として土俵の外から相撲界を支え、自身の哲学を受け継ぐ次世代の強い力士を育てるという新たな使命に挑んでいます。激動の時代を駆け抜けた元横綱が、今後どのような名力士を育て上げていくのか、相撲ファンからの期待と注目は高まり続けています。