日本国内における最高峰の栄誉の一つとされる国民栄誉賞ですが、これまでに偉大な功績を残した著名人の中には、その受賞打診を固辞したケースが存在します。なぜ栄えある賞を辞退したのか、その背景やそれぞれの人物が抱いた想いには、単なる個人の意思決定を超えた深い理由が隠されています。
本記事では、国民栄誉賞の創設背景から、イチロー氏、大谷翔平選手、福本豊氏らが受賞を辞退した真相、そして古関裕而氏の遺族による没後追贈辞退の経緯まで、歴史的な事実をもとに解説します。
国民栄誉賞とは?制度の創設背景と知られざる歴史

国民栄誉賞は、日本の内閣総理大臣表彰のひとつであり、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えた顕著な業績を讃えることを目的に定められています。賞は1977年(昭和52年)8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に基づいて授与され、当時の内閣総理大臣・福田赳夫により創設されました。
内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の1966年(昭和41年)に当時の総理大臣・佐藤栄作が創設した「内閣総理大臣顕彰」がありました。しかし、対象が6種に限定されていたため、プロスポーツ選手への適用が困難という課題がありました。そのため、福田赳夫首相が通算本塁打の世界記録更新を控えていたプロ野球選手・王貞治への表彰を実現させるために発案したのが、国民栄誉賞の始まりとされています。
栄誉ある賞として定着している一方で、受賞が打診された際に本人の意向や遺族の意向によって辞退されるケースがあり、その決断の背景には常に大きな注目が集まってきました。
イチローが受賞を辞退した理由と「今ではない」という美学
日本プロ野球および米メジャーリーグ(MLB)で前人未到の金字塔を打ち立てたイチロー氏は、国民栄誉賞の打診を受けた際、これを固辞したことで知られています。その背景にあったのは、現役アスリートとしての強烈なこだわりと独自の美学でした。
イチロー氏は辞退の理由について、公式な場で「人生の幕を引いたときにいただくものだと思う。現役でプレーしているうちは辞退したい」という趣旨のコメントを残しています。選手として第一線で戦い続ける現役の最中に受け取るものではなく、すべての挑戦を終えた引退後にこそふさわしいという姿勢を貫いた形です。
この決断は、競技に対するストイックな姿勢を象徴する出来事として、多くのファンや関係者から深い敬意を集めました。勲章や表彰に甘んじることなく、自らのパフォーマンスで評価を高め続けようとするプロフェッショナルとしての誇りが、その選択の根底にありました。
大谷翔平の辞退と現代アスリートの選択
投打の二刀流で世界中を魅了し続け、数々の歴史的な記録を塗り替えている大谷翔平選手もまた、過去に国民栄誉賞の打診に対して辞退の意向を示したことが話題となりました。
大谷選手もイチロー氏と同様に、現役選手としてさらなる高みを目指して挑戦を続けている最中であることから、「まだ早い」「これからの励みとして大切にとっておきたい」という趣旨の姿勢を示しました。若い世代の模範となり、圧倒的な成績を残しながらも、自身のキャリアが道半ばであるという認識を強く持っていることがその理由です。
国民栄誉賞という国家レベルの表彰に対し、アスリート自身が「今の自分のステージにはそぐわない」と冷静に判断し、未来のモチベーションへと昇華させる姿勢は、現代のトップアスリートらしい合理性と謙虚さを物語っています。
歴代の辞退者と受賞辞退にまつわる歴史的背景の比較
国民栄誉賞の歴史において、受賞を辞退した著名人や遺族のケースは、それぞれの分野や時代背景を色濃く反映しています。ここで、打診されたものの辞退に至った主な事例を整理します。
| 対象者 | 主な功績・分野 | 打診・辞退の時期 | 主な辞退の理由・背景 |
|---|---|---|---|
| イチロー | プロ野球(日米通算安打記録など) | 現役時代(複数回) | 「現役プレーヤーの間は辞退したい。人生の幕を引いたときにいただくもの」という美学。 |
| 大谷翔平 | プロ野球(投打二刀流・MLBでの活躍) | 近年の活躍期 | 「まだ早い」「これからの励みにとっておきたい」として現役中の受賞を固辞。 |
| 福本豊 | プロ野球(世界の盗塁王) | 現役引退時 | 「そんなんもろたら、気ィ使こてしんどい(もらうと気を使ってしまう)」という独自のユーモアと謙遜。 |
| 古関裕而 | 作曲家(「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」など) | 1989年(没後) | 海部俊樹首相から遺族へ打診。「生前活動している時ならともかく亡くなった後に意味があるのか」と遺族が疑問視。 |
このように、福本豊氏の「もらうと気を使ってしんどい」という関西人らしいユーモアに満えた辞退理由から、古関裕而氏の遺族が抱いた「没後追贈への疑問」まで、辞退の背景には個人の価値観や家族の想いが強く反映されています。
古関裕而の遺族による没後追贈辞退の真相
生前の功績だけでなく、没後に打診されて辞退となったケースとして特筆すべきが、昭和の音楽界を牽引した作曲家・古関裕而氏の事例です。
1989年(平成元年)に古関裕而氏が逝去した後、当時の海部俊樹首相から遺族に対して国民栄誉賞の授与が打診されました。しかし、古関の長男である古関正裕氏はこれを辞退しています。
古関正裕氏が辞退の理由として挙げたのは、「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」という疑問でした。名誉は生きているうちに本人が受け取り、その活動のエネルギーとするものであり、没後の表彰は本意ではないという遺族としての強い意思が反映された判断でした。
この一件は、国民栄誉賞が「生前の活躍に対する讃え」であるべきか、あるいは「没後の永代的な顕彰」も含めるべきかという点において、制度のあり方を考える上で重要な示唆を与えました。
【国民栄誉賞辞退】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:国民栄誉賞を辞退すると、法的な罰則や不利益はあるのですか?
A1:国民栄誉賞は内閣総理大臣による表彰であり、法的拘束力や権利義務を伴うものではありません。そのため、打診を辞退した場合であっても、法的・社会的な不利益やペナルティが課されることは一切ありません。本人の意思や意向が尊重されます。
Q2:一度辞退した人が、後から改めて受賞することはあるのですか?
A2:原則として、辞退の意思が表明された案件について再度打診が行われるケースは稀ですが、本人のキャリアの区切りや状況の変化、あるいは社会的な機運の高まりに応じて、将来的な再検討が行われる可能性はゼロではありません。ただし、多くの辞退者は自身の信念に基づいて固辞しているため、そのまま尊重されることが一般的です。
Q3:国民栄誉賞を辞退した著名人は過去に何人いますか?
A3:公式に受賞を打診されたものの辞退したケースとしては、イチロー氏、大谷翔平選手、福本豊氏、そして遺族が辞退した古関裕而氏などが広く知られています。政府側が水面下で打診して辞退となったケースも含めると、個人のプライバシーや意向に配慮して非公表とされているものも存在すると言われています。
国民栄誉賞の受賞辞退は、決して栄誉を軽んじているわけではなく、むしろそれぞれの受賞候補者が抱く強い矜持や、人生哲学の表れであることが分かります。
現役としてのプライドを貫くイチロー氏や大谷翔平選手、独自のユーモアでプレッシャーをかわす福本豊氏、そして故人の尊厳を守る古関裕而氏の遺族の決断は、いずれも世間に大きな驚きを与えつつ、深い納得感をもたらしてきました。
国家の最高表彰という大きな枠組みの中でも、個人の意志や美学が尊重されるべきという姿勢は、時代が移り変わっても色褪せない価値観として、今後も人々の記憶に残り続けるでしょう。